愛県大史WEB
1966
- 中国文化大革命はじまる
- 広島原爆ドームの永久保存決定
1968
- 大学生のストライキ、東京大学?名古屋大学?愛知教育大学など
1972
- 沖縄の施政権を日本へ
1975
1977
1979
- 大学共通1次学力試験はじまる
- 「元号法」施行
1980
1984
1985
- ヴァイツゼッカー西ドイツ大統領演説「歴史を心に刻む」
1986
- ソ連チェルノブイリ原発爆発
1987
- 国鉄の分割民営化、JR発足
1989
1991
- ソヴィエト連邦消滅
1992
- PKO協力法の成立
1993
- ヨーロッパ連合(EU)の発足
- 55年体制の崩壊
1994
1995
- 阪神淡路大震災
- 地下鉄サリン事件
1996
- 原爆ドームの世界遺産登録
1997
女子大学から男女共学へ
安定の礎を築き、模索の時代へ
1966
- 中国文化大革命はじまる
- 広島原爆ドームの永久保存決定
男女共学の愛知県立大学発足
文学部に国文学科?英文学科?児童教育学科?社会福祉学科
愛知県立女子大学の募集を停止
新設の外国語学部に英米学科?フランス学科、同二部として英米学科?フランス学科を設置
1968
- 大学生のストライキ、東京大学?名古屋大学?愛知教育大学など
愛知県立看護短期大学設置
修業年限3年第一看護学科、修業年限2年第二看護学科(名古屋市守山区)
開学記念植樹
竣工時の体育館(名古屋市守山区)
竣工時の校舎全景(名古屋市守山区)
愛知県立看護短期大学の校章と校旗
1968(昭和43)年6月10日締切で、バッジ図案募集が行われた。「バッジの応募作品について学生の人気投票の結果も十分尊重しつつ、県立大学の山田光春教授に補作を依頼する」と同年教授会記録に記載されている。
その後、1977(昭和52)年、バッジのデザインを採り、校章が制定された。ナースキャップを形どり、その中に「大学」の文字をいれた。この校章デザインは、学生証や校旗にも使われた。
外国語学部にスペイン学科を増設
社会と大学の接点、行動する学生の諸集団ー愛知県立大学の学生運動が活発化
インタビュー
コラム
学生運動と愛県大
日本文化学部学部生
藤澤 元禄
1960年代後半を中心に、日本各地で学生運動が活発化し、大学紛争にも発展しました。その背景にはベトナム反戦運動、安保闘争、沖縄返還問題など国内外の動向があり、こうした政治的社会的情勢に対し大学生たちが自らの問題として考え行動した時期でした。...
投稿日 2023年08月28日
1972
- 沖縄の施政権を日本へ
愛知県立女子短期大学の修学年限を2年6ヶ月から3年に延長
1975
愛知県立大学、来年度より外国人学校出身者に入試受験の道開く
1977
月額授業料、県立大学8000円/短期大学6000円
1979
- 大学共通1次学力試験はじまる
- 「元号法」施行
愛知県立大学が大学共通第1次学力試験(共通一次試験)に参加
「愛知県立大学将来計画案及び同説明書」を発表
将来計画会議、愛知県立大学法学部?教育福祉学部と大学院を新設する
「愛知県立大学将来計画案及び同説明書」を発表。(いわゆる「平場プラン」)
コラム
1980
県民対象の公開講座を開く
1980(昭和55)年以来毎年欠かさず開催
愛知県立大学公開講座「世界の民族と言語」
1984
長久手キャンパスに体育館完成
1985
- ヴァイツゼッカー西ドイツ大統領演説「歴史を心に刻む」
1986
- ソ連チェルノブイリ原発爆発
帰国子女の特別選抜入学試験の実施決める
1987
- 国鉄の分割民営化、JR発足
メディア
1989
愛知県立看護短期大学が、愛知県に対して四年制大学開設の実現を要望
「看護大学設置検討会(後に看護大学整備推進会議)」が発足
愛知県下27の看護婦養成機関の長より出された大学設置の請願が県議会で採択され、これを受けて
メディア
1991
- ソヴィエト連邦消滅
1992
- PKO協力法の成立
「愛知県立大学整備計画」(飯島宗一座長)が策定
3学部12学科から成る将来計画が本格化
インタビュー
1993
- ヨーロッパ連合(EU)の発足
- 55年体制の崩壊
メディア
1994
1995
- 阪神淡路大震災
- 地下鉄サリン事件
愛知県立看護大学開学(名古屋市守山区)
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阪神淡路大震災で被災した受験生を対象に愛知県立大、同県立芸術大、同県立看護大、同県立女子短大が、特別入試を行うことを決定
愛知県立大学の同窓会、20年ぶりに復活へ、11月12日に創立総会
メディア
1996
- 原爆ドームの世界遺産登録